スペインのバロセロナにあるサグラダ・ファミリア。1882年から建築を着工し始め2026年に竣工予定だと発表されました。この年はこの建物の建築家アントニ・ガウディの没後100周年とも言われています。
「未完」が代名詞だったサグラダ・ファミリアの完成はとても楽しみです。
そこで今回は
生誕の門に東洋人の天使の顔があるのはなぜか。
についてお話したいと思います。
サグラダ・ファミリアと日本人彫刻家
サグラダ・ファミリアには彫刻家として日本人が携わっていたとされています。
その方のお名前は外尾悦郎氏です。
彼はサグラダ・ファミリアに初めて出会った時のことをこのように話されています。
サグラダ・ファミリアを初めて見たのは私が21歳の時だった。
沢木耕太郎氏の名著「深夜特急」に憧れ、バックパックひとつでヨーロッパに放浪の旅に出たのは1990年の春のこと。
工事現場などのアルバイトで貯めた金で、往復の航空券と鉄道のユーレイルパスを購入し、大学の春休みに3週間の旅に出た。
ドイツから深夜走る国際特急で南下し、オーストリア、イタリア、空路でギリシャ、エジプト、トルコ、再びイタリアからスペインに向かった。スペインに向かったのは、マドリードのプラド美術館にあるピカソのゲルニカが目的だった。
せっかくだから、バルセロナのピカソ美術館とミロ美術館は見ておこうと思って途中下車したが、ガウディは、ほとんど知らなかった。
当時のバックパッカーの必需品「地球の歩き方」に載っていたので訪ねたのが、ガウディとサグラダ・ファミリアとの初めての出会いだった。35年前のサグラダ・ファミリア周辺は、今ほど世界的な観光地ではなかった。
石材が無造作に積まれ、職人が行き交い、砂ぼこりでスニーカーが真っ白になるような工事現場のようだった。地下鉄の階段から地上へ出ると、目の前に表現しがたい奇怪な建造物がそびえたっていた。
人が設計したものとは思えなかった。
まるで自分の意志で成長している“生き物”のようだった。結局、その日は夕暮れまで、サグラダ・ファミリアを眺めていた。
NHK(https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=39096)より引用
心を奪われるとは、こういう感覚なのかもしれない。
ガウディから外尾悦郎らへ
その彼がサグラダ・ファミリアの彫刻家になる日が来たのは、まさに運命的であると感じます。
ガウディは『必ず、あとを引き継ぐ者が現れ、より壮麗に命を吹き込んでくれる』
という言葉を残しています。
その言葉の通り、サグラダ・ファミリアは後を引き継ぐ者によって多くの人を魅了しながら完成に近づいています。
外尾悦郎氏はそのお一人です。
ガウディの書いた設計図や模型はほとんど残されてませんが、彼らの手によって完成しようとしています。
外尾悦郎は、1978年スペインバロセロナに渡りアントニ・ガウディの建築、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わる。2013年からはサグラダ・ファミリア主任彫刻家に任命され、ガウディの残した設計図からサグラダ・ファミリアに組み込まれる彫刻などの装飾を総監督している。
ウィキペディア 外尾悦郎より
サグラダ・ファミリアの天使と外尾悦郎
では外尾氏はサグラダ・ファミリアのどの彫刻を作ったのでしょうか。
サグラダ・ファミリアの象徴である「生誕の門」を飾る15体の天使像は彼の作品です。
2005年には、この生誕の門が世界文化遺産に登録されています。
実はこの中に、東洋人の顔をした天使像もあるそうです。
それがこちらの画像です。
なぜスペインの建造物に東洋人の天使がいるのでしょうか。
その理由は外尾氏が「天使が西洋人という決まりはない」と考えたからです。
確かにそうですよね!でもそれにOKが出たのが凄いです。
ちなみに西洋人の顔の天使がこちらです。
感想
もうすぐサグラダ・ファミリアの完成!私も待ち遠しいです。
外尾悦郎氏は、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家に選ばれ作品を残して来られていますが、さまざまな苦労や努力があったことは計り知れません。今でさえ西洋で東洋人を起用したポスターやCMを見かけることがありますが、当時はまだまだ外国人に対しての偏見があったと外尾氏も言われています。そのなかで世界的な作品に長年外尾氏が携わり、また「東洋人の顔の天使がいる」というのはどれだけ彼が認められていたかを表していると感じています。スペインにあるサグラダ・ファミリアだけど日本人とも深い繋がりがあり、完成が他人事とは思えません!!
2年後が楽しみですね。
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